No.0017

6歳で「行きたい」と言った女の子が、
35歳で学校を作った話

津田梅子さん

今日は津田梅子さんの話をさせてください。新しい五千円札の顔で、津田塾大学を作った方です。

1871年、岩倉使節団と一緒に、6歳の女の子がアメリカへ渡ります。日本初の女子留学生、その最年少が梅子さんでした。

「6歳で親に行かされて、かわいそうに」と思うじゃないですか。ところが、渡米9か月後に本人が書いた絵日記が残っていて、研究によればそこにはこうあるんです。父から話を聞いて、自分の意志で「行きたい」と答えた、と。

6歳の「行きたい」が、記録に残っている。すごくないですか🔥

アメリカで11年。17歳で帰国したとき、梅子さんは日本語をほぼ忘れていました。お父さんとの会話も英語です。そして帰ってきた日本で、女性の置かれた立場を目の当たりにします。自分が11年間生きてきた世界とは、あまりに違いました。

その後、華族女学校の教授になります。当時の女性としては最高クラスの職位。安泰です。……でも梅子さんは、その職を辞して、もう一度アメリカへ留学するんです。そして1900年、35歳で「女子英学塾」——いまの津田塾大学を、小さな私塾から立ち上げました。

開校式の式辞が残っています。

「完き婦人即ちall-round womenとなるよう心掛けねばなりません」

肩書きの偉さより、まるごと一人の人間であれ。125年前の言葉です。

6歳の「行きたい」から、35歳の開校まで。この人の人生、ずっと「自分で選ぶ」の連続なんですよね。最初の舞台は父が用意したものだったかもしれない。でも、そこから先は全部、自分の意志で選んでいる。

誰かに与えられた環境で始まったことでも、続きは自分で選べるんです😊

いまの環境で、次に「自分で選ぶ」としたら。……あなたは、何を選びますか?