No.0004

49歳で隠居して、
19歳年下の先生に弟子入りした話

伊能忠敬さん

今日は伊能忠敬さんの話をさせてください。日本地図を作った、教科書に出てくるあの方です。

でも、あの地図を作り始めたのが55歳からだったって、ご存知でした?

それまでの30年あまり、忠敬さんは千葉・佐原の商人でした。米や薪炭を商って、酒も造って、名主として村のためにも働いて。商人として、ちゃんと大成した人なんです。

1794年、49歳で家督を息子に譲って隠居します。当時の感覚なら、あとはのんびり余生でいい歳です。

ところが翌年、江戸に出るんですよ。何をしに行ったかというと、天文学の弟子入りです。

で、ここがこの話のいちばんすごいところなんですけど、先生の高橋至時さんは31歳。忠敬さんより19歳年下です。

50歳の元商人が、19歳年下の先生に頭を下げて、ゼロから星の動きと数学を学び始めた。この絵、ちょっとしびれませんか🔥 年齢も、それまでの実績も、いったん全部脇に置いてるんですよね。

そして1800年、55歳で蝦夷地の測量に出発します。そこから71歳まで、計10回の測量で日本中を歩きました。歩いた距離は、地球一周分とも言われています。

この話には、続きがあります。

忠敬さんは1818年、73歳で亡くなるんですが、そのとき地図はまだ完成していませんでした。「大日本沿海輿地全図」が完成したのは、死の3年後。師匠や弟子たちが遺志を継いで仕上げて、幕府に納めたんです。

そして忠敬さんのお墓は、いまも東京の源空寺に、あの19歳年下の先生・高橋至時さんのお墓の隣にあります。死後は先生のそばに眠りたいと望んだからだと、伝えられています。

隠居って、終わりの言葉じゃないですか。でもこの人にとっては、49歳の隠居が「本当にやりたかったことを始める合図」でした。しかも、その一歩目が独学じゃなくて、年下の先生への弟子入りだったこと。ここがいちばんの着火ポイントだと思うんです。

学ぶのに、遅いも早いも、年上も年下もない。地図が、それを証明してます。

「いまさら聞けない」「いまさら始められない」。そう思ってることこそ、ひとつ、始めてみませんか?