No.0014

会社を売って1年休んだのに、
またエンジンに戻ってきた話

本田宗一郎さん

今日は本田宗一郎さんの話をさせてください。ホンダの創業者です。

いきなりですが、この方の人生でいちばんすごい瞬間、どこだと思います? 世界のホンダを作ったところ……じゃないんです。僕は、39歳の再出発だと思っています。順番に話させてください。

始まりは、においです。小学校低学年の頃、浜松の町に自動車がやって来ました。生まれて初めて見る自動車。本人がのちに書き残しています。

「初めて見る自動車。それは感激の一言だった」

停まった車からしたたり落ちる油の、そのにおいがたまらなかったそうです。そして——

「僕もいつかは自動車を作ってみたいな、と子供心にもあこがれた」

15歳で東京の自動車修理工場に丁稚奉公に出ます。最初の仕事は子守りと掃除😅 それでも6年勤め上げてのれん分けを許され、21歳で浜松に戻って独立。そこから部品メーカーを育てて、従業員2000人規模の会社にまでしました。

ここまでで、もう十分な成功なんですよ。ところが戦争と地震で工場がやられ、1945年、会社の株を全部売ります。そして宣言するんです。

「人間休業」。

まとまったお金はある。実績もある。もう無理に働かなくていい。実際、約1年間、休みました。

で、ここがこの話の核心です。1年休んで、それでも戻ってきた場所が、エンジンだった。

1946年、39歳。浜松に小さな研究所を作ります。最初の商品は、軍の払い下げエンジンを自転車にくっつけた「バタバタ」。走ると音がバタバタいうから、バタバタ。2000人の会社を率いた人が、そこからやり直したんです。

そしてわずか8年後の1954年、町工場のおやじさんは宣言します。「世界最高峰のマン島TTレースに出る」。当時のホンダの規模を考えたら、周りがどう受け取ったかは想像がつきますよね。でも5年後の1959年、本当に日本メーカーとして初出場しました🔥

少年の日の油のにおいは、丁稚の6年でも、会社の売却でも、1年の休業でも消えませんでした。むしろ休んだことで、はっきりしたんだと思います。休んでも消えない火が、本物の火なんです。

もし「1年休んでいいよ」と言われたら——休み明けのあなたは、何をしてると思いますか? ……その答えが、たぶんあなたの火種です。